こんなんだったっけ日記

さよなら はてなダイアリー

クルトン

 ミュージックステーション観ました。浪花いろは節〜ズッコケ男道〜T.W.L.のメドレーも面白かった(但し歌としてはあんまりまとまっていない印象も)ですが、「大阪レイニーブルース」の没PVには笑わせられた。なんだアレは。ファンには有名なのかも知れませんが僕は初めて見た。PVなのに何故か歌も改めて(ヘタなのが)重ねてあった。なんだアレは。

 さてそのMステで歌われるかなーと思っていたら歌われなかった新曲「クルトン」ですが、僕は昨日近所のツタヤで初回限定盤A(6799円也)を買ってきて初めて聴きました。DVDはまだ観ていない。よって『8EST』全体についての感想は後日に回すこととしてまずは「クルトン」についてのみ。
 作詞作曲は大傑作「Kicyu」を生んだ横山・安田ペア。但し編曲は高橋浩一郎ではなく大西省吾。一聴目は、各人の声があんまりハッキリ聞こえてこないということもあって(註:この曲は絶対ヘッドホンで聴いたほうが良いと思います。高級なステレオ機器を備えた人なら別ですが)、ちょっとどうかな、この手の曲としては既に「七色パラメータ」がかなり良い出来(因みにこの曲の編曲は高橋氏)だからもうそれでいいんじゃないか、などと考えながら聞いていたが、聴く度に良くなっていく印象。
 一にも二にもアレンジが問題になる曲だと思うが、僕は普段、所謂Jポップをあんまり聞かないので判らないのだが、こういう曲って普通のリスナーに違和感なく受け入れられるものなのだろうか。オープニングに回帰すると思わせてプスッと切れるエンディングなんて初めて聴くとなかなか衝撃的だし、Aメロ前半の拍子を狂わせるリピート(♪何回も何回も何回も・・・という歌詞に符合しているわけであるが)なんかは、一般にはかなり聞きにくく受け止められそうなのだが、今はもうそうでもないのかな。Perfumeなんかがこういうアプローチを既に何回もやっているのだとしたら、リスナー側でも慣れている可能性はある。僕はテクノと言えそうなのはポリシックスくらいしか聴かないので判りません。ただアレンジ面で聞き手に刺激を与えてくれる曲は僕は好きである。エンディングにも「おお〜」と感嘆の息が洩れた。
 それで面白いのは、前のアルバム『FIGHT』で安田が手掛けた「Dye D?」では、間奏部に流れを意図的に分断するようなアレンジが施されており、これは安田の手を離れて編曲者によるものと思っていたのだが、この「クルトン」でも同様の所為(しかももっと激しい)が見られることを勘案すると、ひょっとして作曲の安田自身に既にそのようなイメージがあったのではないかと思われるのである(そのイメージを編曲者に伝え、編曲者がそれを具現化した)。『8UPPERS』期には「TOPOP」「って!!!!!!!」のようなストレートなロック/ポップスを作っていたのに対し、そのようなものには飽き足らなくなってきたのだとすれば、これはアーティストとしての安田章大については良い兆候と思える。
 但し(敢て言えば)、『FIGHT』ボーナスの「夜な夜な ヨーNIGHT」があやまんJAPANで、「クルトン」がPerfumeとすると、ちょっと元ネタが透けて見えすぎているきらいがあることは否めない。他者からの影響を上手く消化・処理していくのも立派な創造の過程であると思うので、今後もっと素晴らしいものを提供してくれるんじゃないかという期待がある。
 なんて書くと「クルトン」がイマイチなようですが、そんなことはないです。ヘビーローテーションで聴いております。「Kicyu」ほどアクが強くない代わりに、繰り返し何度も聞ける良さがある。アレンジが平板でないということは非常に重要である。
 歌詞について一言しておくと、今回も「子供の目線」という点は保持されているように思うが、今までのようなエピソードを語る形ではなく、かなり抽象的な語りになっている。その中で終盤の「磨り減った靴 ボロボロのTシャツ」という具体的なイメージが上手い対照を為していると思う。「オニギシ」や「413man」なんかと比べると随分あっさりした作風になったようだが、はっきり言ってこの曲調にあの手の泣かせのエピソードを繰り入れてもあんまり効果がない。むしろ意味のないような断片的な言葉が聞き手の頭の中で回転するような快感こそが合っているのであって、その意味ではなかなかよく出来た歌詞である。まず以て、横山が「曲のイメージに合わせた歌詞が書ける」ということに僕は驚いた。安田との共同作業の賜物であろう。