こんなんだったっけ日記

さよなら はてなダイアリー

ヴァージン・キラー

 図書館でスコーピオンズの『ヴァージン・キラー』を借りた。「狂熱の蠍団」という邦題が付いていると初めて知った。このアルバムを初めて聴いたのは高校の頃だったか、母の実家でレコードを見つけたのだったが、しかしジャケットはそれより以前から知っていた筈である。黒一色を背景にして十歳くらいの全裸の女の子が膝を突いており、局部にガラスのヒビ割れが重なっている、あまりに有名な(というのも常套句だが)ジャケットである。
 いまのCDではそれが差し替えになっている筈だが、それは確か元々のLPでは裏ジャケットに使われていた、ポーズを取っているんだかいないんだかよく判らない中途半端なポーズをとったメンバーの写真である。ジャケットとしての出来は、オリジナルとは比べ物にならない。
 ところが図書館の蔵しているCDのは、少女のジャケットだった。なんとなくラッキーな気がするが(ハダカが見られて、という意味ではない)、しかし借りるのは恥づかしかったな。手続きをしてくれたのは若い女の人だったし。本じゃないんだからポルノとは思われまいが。

 ともあれ今ではこのジャケットは通行していないそうだが、それは当然少女の裸体というのが「問題アリ」と見なされたためだろう。でも、それならブラインド・フェイスだってダメな筈だが、あっちは何とか差し替えは免れている(と思う)。違いは、下半身が写っているか否か、でしょうか。でも『ヴァージン・キラー』のだって、ガラスのヒビ割れがモザイクの代りになっているわけだが(いくら目を凝らしても何も見えません)。しかも、言うまでも無いことだが、単なるモザイク代りではなくデザインの上でも重要なアクセントになっているというのに。まあしかし、そういうことは問題にならないのだろう。いつから差し替えになったのか知らないが、例の幼児ポルノに関する近年の動きに応じたものなのかしらん。

 さて、それはそうと久しぶりに聴き返した『ヴァージン・キラー』、思えばCDで聴くのは初めてである。私はスコーピオンズのファンというのでは全然無く、それどころかメンバーの顔も名前も何人編成かも知らない(五人らしい)という輩であるが、これはやはりよく出来たアルバムである。やっぱりハード・ロックは叙情的なのが良いみたいだ(ツェッペリンはそんなに叙情的でないけど。あれは別格)。
 なんでだかファースト・アルバムだと思っていたのだが違うみたいですね。二曲だけ若きウリ・ジョン・ロート(この人は知ってる。後年ヘンな丸い形のギターを弾くヒトである)が自作曲でヴォーカルを取っていて、明らかに浮いている。餅は餅屋に任せときゃ良かったのに、と思うが、その内の一曲である「ヘル・キャット」は結構好きである。エアロスミスの「お説教」(と言われてどの曲か判るか?)みたいな楽しさがある。
 何故か一曲目の「ピクチャード・ライフ」(いいですね〜)と最後から二曲目の「ポーラー・ナイツ」にだけ邦題が付いている(それぞれ「幻の肖像」と「暗黒の極限」)。確かに他は日本人にも判りやすい曲名が多いのだが(「キャッチ・ユア・トレイン」とか「イン・ユア・パーク」とか)、最後の「イエロー・レイヴン」(冒頭がジミヘンの「リトル・ウィング」ぽいですね)にも邦題を付ければ良かったのに。Ravenの意味なんて、日本人だとエドガー・アラン・ポー好きの人しか知らないぞ。