こんなんだったっけ日記

さよなら はてなダイアリー

オース!

 最近買った三冊の雑誌、『レコード・コレクターズ』六月号、『ギター・マガジン』七月号、『クロスビート』七月号、このいずれでも結構大きい扱いで記事が載った歌手がいる。今年四月に九十四歳の大往生で逝去した「バタヤン」こと田端義夫である。ギタマガでは表紙を飾る・・・ことには流石にならなかったが(表紙はMIYAVI)、「追悼 田端義夫」という文字が「ONE OK ROCK」の真下に躍った。なかなかシュールである。
 折しも彼のドキュメンタリー映画『オース! バタヤン』が劇場公開されなんとする頃で、まあその意味では不謹慎ながら本人の死去は絶好の宣伝になったと言えよう。上記各誌の扱いも追悼と言うよりは映画の紹介が主である。ギタマガでは1991年に掲載されたインタビュー及び彼のトレードマークであったナショナルの電気ギターの解説を再掲しており、都合カラー4頁をバタヤンに割いている。なかなかのモンである。
 映画については前から気になっていたものの色々忙しくって忘れてしまっていたのだが、意外にもまだまだ上映中とのことで、19日に行ってきた。テアトル新宿。ここではバタヤン等身大?のボードが置いてあったほか、若かりし頃のリサイタルのチラシとか、後援会が発行していた会報やらが見られてなかなか楽しかった。物販ではパンフレットのみならずCD、LP、著書、ポスター(大きさ違いで三種類もあった)、更にブロマイドや何故か缶バッヂまで売っていた。ブロマイドは勿論マルベル堂だ。しかも何種類か売り切れてたしな。日本もまだまだ底が知れない。かく言う僕も帰りにパンフと缶バッヂ買ってしまった。バッヂは一個150円でお手頃価格でした。ちょっとエンケンみたいな写真である。
 でも劇場はガラガラだったな。最終的に15人くらいは入っていたけど。間違いなく僕が最年少だったと思う。
 そもそもこのテの映画って上映期間は数日〜数週間が普通と思うのだが、テアトル新宿では既に上映開始から一ヶ月を経て、しかも終演日は未定とのこと。一日一回の上映とは言えかなり息が長く、こだわりのほどが窺える。いいぞ。
 さて、映画は、2006年に大阪・鶴橋の小学校の講堂で行なわれたコンサートの模様を中心にしつつ、各時代の音源や映像、周辺人物のインタビューを織り交ぜて、歌手/人間・田端義夫の姿を焙り出さんとしている。特に演歌が好きという人でなくとも、人間ドキュメンタリーとして充分に楽しめる作品になっているので、予告編を観てちょっとでも興味を引かれた人は是非劇場まで足をお運び頂きたい。DVDも出るみたいですが、どうせなら映画館で観た方がいいよ。時間も90数分と手頃である。

 以下は気になった点などについて備忘録的に箇条書き。


・軸になる鶴橋のコンサートでは浜村淳が司会を務めている。これが凄い働きぶりで、そりゃ人気者になるわコレじゃあ、という感じ。語りの流麗さは知っての通りではあるが、改めてしっかり観てみるとバッチシ引き込まれます。パンフレットによるとアドリブではなく完全に原稿を作っておくらしい。


浜村淳情報をもう一つ。この人、実は非常にスタイルがいい。目測で数えてみたら7.5頭身くらいあった。なんかラメが入ったような黒いスーツを着ていましたが、キマっていた。


・バタヤン登場。白状すると彼についてこれまで全く何も知らなかったのだが、それでもあの「オース!」にはのっけから心を持って行かれる。あれは凄い。あの人情味入りまくりの語りも凄い。なお鶴橋でのコンサートではなんだか異様に派手なシャツを着ていた。流石伊達男。


・僕がこの映画を観るにあたって期待したのは何と言ってもギター・プレイである。バックバンドにギターがいることもあって、バタヤンのギターがはっきり聞こえるということはあんまり無いのだけれども、基本的に曲の出だしは、バタヤンが一フレーズ弾いて、バックバンドがそれに入ってくるという形なので、各曲の最初は彼のギタープレイが聴ける。これがなかなかカッコイイです。
 特に、昭和53年の映像だったと記憶するが、コンサートで「大利根月夜」を演る時に、司会者宮尾たか志による曲紹介の途中でサッとバタヤンにスポットライトが当たって、すかさずデレレレン、とギターを弾き出すところはめっちゃ格好良いんでトリハダが立った。YouTubeでは見当たらない。是非映画を観て欲しい。


・映画ではないけれども、この映像で2:00ごろから、歌いながら生ギターで歌メロと同じフレーズを弾くの、いいなあ。なお無関係ながら同じ動画でバタヤンが「全然熱いわ」と肯定に「全然」を付けているのも注意される。


・トレードマークであるナショナル(日本のナショナルじゃないです、念のため。あ、もう無いんだっけナショナルって)のギター、めちゃくちゃ格好良い。欲しいとは言わないが、生で見てみたい。


・このギターを異様に高い位置で構えるのが彼の特徴で、先日『題名のない音楽会』でジミー・ペイジ特集をやっていた時にROLLYが「バタヤンみたいな高い位置で弾いた方がラクなんですけど、ジミー・ペイジは格好付けてやたら低い位置で弾くんですよ」というようなことを言っていたが、そのように引き合いに出されるくらい高い。
 で、なんとなくこの高さが当時(バタヤンのレコードデビューは1939年)の標準だったのかなというふうに思っていたのだけれど、バタヤンはディック・ミネに憧れてエレキに手を出したというのですね。「これはモテるで」と思ったとか。ところが、写真を見るとディック・ミネは結構低い位置で構えているんです。バタヤンみたいな高さではちょっとモテへんやろ。ところがバタヤン見てると、もうあの高さしかない、と思っちゃうんですね。まあ僕が人一番単純なせいかも知れんけど。


・ただ、鶴橋でのコンサート映像、大体が1番で切れてしまって、曲をフルで流さないのが残念。あと、歌詞は結構聴き取れないので、ある程度「予習」をしていった方が楽しめると思う。


・どの曲がどう、というのはあんまり覚えていないのだが、先述の「大利根月夜」の他には、「雨の屋台」「骨のうたう」「ズンドコ節」なんかが良かったな。後、1979年(既に60歳)の時にラスベガスで29万ドル当てたという「事件」があって、テイチクがそれに乗っかって「バタヤンのツキツキぶし」という曲を歌わせたのだが、この曲について後援会の人だったかが「しょーもない歌ですわ」と一蹴していたのが笑えた。その他にも結構笑いどころがありました。


・映画のテーマソングはザ・バンドの「Ain't Got No Home」。観る前はどうしてバタヤンの曲でないのだろうと訝しかったが、これが鶴橋の映像に合っていてかなり良かった。あと、バタヤンとは無関係ながら、キャラメル・ママティン・パン・アレー)を思わせるところがあって、細野晴臣が「自分にとってはビートルズよりもザ・バンドの方がずっと重要だった」と何かの雑誌で言っていたのに得心がいった。


・パンフレットに年譜が載っていて、「エレキ・ギターの歴史と世界の世相」というのと対照してあるのだけれど、これが面白い。例えばバタヤンが最初にエレキギターを手に入れたのは1942年であるが、翌年の43年にはマディ・ウォーターズが初めてのエレキギターを手に入れた、とある。また、バタヤン38歳の1957年には「ジェフ・ベック(13)、楽器屋からピックアップを盗み自作のエレキ・ギターを組み立てる」。この逸話自体はベック・ファンには有名であるが、「ジェフ・ベック(13)」というのが笑える。なおレッド・ツェッペリンがデビューした1968年には「浜千鳥/赤とんぼ」発売。
 そんなわけで見比べると面白い年表なのだが、惜しむらくは70年代以降が完全に手抜きなことである。1978年ヴァン・ヘイレンがデビューとか、1993年フランク・ザッパ死去とか、書くことはいくらでもあるだろうと思うのだけど。この年表誰が作ったんだろうか。


ソウル・フラワー・ユニオン中川敬がインタビューを受けている場所がどう見ても「くるま屋」なんだけど、どういうことだろうか。バタヤンと縁故あるのか?


寺内タケシが事務所らしきところでインタビューに応じていたが、背景の壁一面が額装された賞状。異様だった。


千昌夫が「綿入りばんてん(半纏)」と言っていた。4モーラ語というのは非常に連濁しにくいので、知っている例が一つ増えてトクした気分。