こんなんだったっけ日記

さよなら はてなダイアリー

買い物ブギ

 新曲リリースが発表されました関ジャニ∞。映画の主題歌、且つ曲名も「ここにしかない景色」とのことで、なんとなく「マイホーム」みたいな曲なのかなと想像してしまうが、それだとあんまり僕の好みにあったものではないか。ともあれ期待はしている。
 まだ聴かぬ新曲から話がいきなり戻って2007年。この年の6月に2枚目のアルバム『KJ2 ズッコケ大脱走』がリリースされているが、その4ヶ月後の10月には日本歌謡界を代表する作曲家の一人である服部良一のトリュビュート・アルバムが発売され、これに関ジャニ∞も参加している。発売は「イッツ マイ ソウル」と同じ日だったそうである。
 この『服部良一 〜生誕100周年記念トリビュート・アルバム〜』、参加歌手が非常に豪華で、僕も聴く前は井上陽水の「胸の振り子」など大いに期待したものであったが、実際に聴いてみるとこのアルバムは正直に言って「今一歩」であった。決して悪くはないのだが、なんとなくパワー不足というのが全体的な印象。
 実は服部良一をフィーチュア(トリビュートだのフィーチュアだの、こなれない外来語ばかり使って面目ないが、意外と適当な日本語が浮かばないのだ)したアルバムというのは、服部生前の1970年代に早くも出ている。歌が雪村いづみ、編曲・演奏がキャラメル・ママという豪華布陣での『スーパー・ジェネレーション』というLPであるが、これは服部本人が録音現場に見物に来て演奏を聴きながらノリノリだったという逸話があるくらいで、文句なしの傑作である。YouTubeにテレビでライブ演奏した「銀座カンカン娘」が観られるが、正に時代を超えた魅力と力強さを湛えている。この映像を見て「良い!」と思った人は悪いこと言わないからアルバム買って下さい。ちゃんとCDにもなっています(再発のCDにはボーナス・トラックが一曲入っているがこれは余計だったんじゃないかと個人的には思う)。
 で、このアルバムに較べると、『服部良一 〜生誕100周年記念トリビュート・アルバム〜』は、ちょっと弱いと僕には感じられるのだ。


 さてさて前置きが長くなったが、その「ちょっと弱い」アルバム中での関ジャニ∞であるが、ファンの贔屓目と言われると反論の仕様がないが僕はこのアルバムの中で白眉の出来と思う。予想以上というか、率直に言って意外だった。
 曲は名作にして怪作の「買い物ブギ」で、これは何と言っても笠置シヅ子の歌唱が有名である。これまたYouTubeビデオが観られるが、一見して無二の個性を放っていることが判る。「アホかいな」という台詞もあって、関ジャニ∞に宛がわれるのは判らないでもないが、はっきり言って中途半端なカバーならやらない方がずっとマシというタイプの曲なのである。
 その割には意外とカバーの多い曲であるが(UAも近年のカバーアルバムで取り上げていた)、アレンジは基本的にブラスを効かせてジャジーに行くか華やかに行くかである。それを関ジャニ∞に歌わせたバージョンでは・・・これ何て言うんでしょうか、まあとにかくヒップホップ風にされている。こんなことをしたら僕を含む笠置バージョンのファンは大激怒、かと思いきや、どうしてどうしてこれが非常に良く出来ている。
 歌唱としては、ラップの感覚を濃厚に出しつつ、メロディーもしっかり歌わなくてはならない、結構難しいものと思うのだが、7人とも充分聴かせられるレベルになっている。特に大倉ですね、言わずもがな。丸山も頑張ってます。ちょっと安田の影が薄いかな。
 関ジャニ∞のラップと言えば、「悲しい恋」系統のクールにキメるぜ類よりも、「∞ o'clock」「Wonderful World!!」系統のはっちゃけ類の方が合っているように思われて、そしてこの「買い物ブギ」は実は前者に類するのだが、しかしダサくなっていない。まあ歌詞が、「悲しすぎるぜ tell a lie」よりも「わてホンマによお言わんわ」の方が高級だというのはある。あとはアレンジの妙が大きい。そもそも原曲自体がラップの先駆という部分があって、その意味ではこのアレンジに持って行ったのはかなり正しかったと言える。
 ただ、ヒップホップというのは類型的なパターンがあまりにも出来上がり過ぎていて、そこが「ダサい」に容易に流れてしまう要因であるわけだが、本曲でも「いかにも」なイントロを用いながらも、演奏の精度がピカ一なこともあって(強弱の付け方がなんともカッコイイ)、ダサい一歩手前で「カッコイイ」に収まっている。特に中盤でのストリングの効かせ方がクールである。
 関ジャニ∞にとっての、この時点での最新作は先にも書いたように『ズッコケ大脱走』であるのだが、この「買い物ブギ」は、明らかにそれまでの彼らの楽曲とは「聞こえ方」が違う。それまでの楽曲のアレンジが悪いというのではないが、この曲では一気に10年くらい新しくなったような感じがする(奇しくも同時にリリースされた「イッツ マイ ソウル」もやはり同種の印象を抱かせるシングルであって、ここが彼らにとってエポック・メイキングな時期であったことをひしひしと感じさせる)。それは主にアレンジとミキシングの問題と思われるのであるが、もう一つ見逃せないのが歌の割り振りで、この曲では要所要所で短いフレーズを全員で歌う以外は基本的に全てソロの歌唱で構成されている(ハモりも全然ない)。この曲は、時間が4分弱ある一方で間奏は短い、つまり基本的に歌いっぱなしである。その歌いっぱなしが各人の順繰りソロ。こんな曲は、関ジャニの曲でこれ以前にも以後にもないんじゃなかろうか(あったらすいません)。僕は関ジャニの曲についてはソロパートが多い曲の方が好きという傾向があって、その意味でもこれはかなり嬉しい一曲である。
 そんなこんなで関ジャニ∞ディスコグラフィーの中で(意外と)かなり重要な一曲と個人的には思っています。『8EST』に入れれば良かったのに。


 追記的にあと一つ。『服部良一 〜生誕100周年記念トリビュート・アルバム〜』のブックレット末に次のような記載がある。
  歌詞はオリジナルを掲載しております。(「買い物ブギ」を除く)
 「買い物ブギ」は上述の如くしばしばカバーされる曲なのであるが、その度に問題になるのが歌詞である。後半でオッサンが「わしゃ、つんぼで聞こえまへん」というくだりがあって、曲中の一つの決めゼリフになっているのだが、この「つんぼ」が非常にマズいというわけですね。いわゆる放送禁止用語というやつである。
 それでカバーではどうなるかと言うと、単に「わしゃ聞こえまへん」となることが多いようだ。YouTubeで聞けるものだと、松浦亜弥UAのバージョンでそうなっている。恐ろしいことに『ちびまる子ちゃん』の劇場版では、笠置のバージョンが使われているのに「つんぼ」の部分をカットして「わしゃ聞こえまへん」にされていて、それこそマズいだろうと思わせる(余談ながら森昌子のバージョンでは「つんぼ」が残っています。やはり時代と言うべきか)。
 こっちとしては別に「つんぼ」という言葉が特に聞きたいというワケでもないのだが、この「わしゃ聞こえまへん」を聴くと、なんとなく居心地悪いような気分になるのですね。僕は差別用語解禁派というわけでは全くなく、むしろ「嫌がる人がいるなら使わないのがいいんじゃないの」くらいの軟派(!?)であるが、この曲の場合、オッサンが(聞こえているくせに)「つんぼで聞こえまへん」といけしゃあしゃあと答えるところに彼の意地悪さが表れているわけで、この曲を演奏する以上はここも省くべきでないと思う。「わしゃ、つんぼで聞こえまへん」だったら「あ、このオッサンはイヤな奴なんだな」と判るが、「わしゃ聞こえまへん」だと何も判らない。第一、差別用語に対する認識以前に「わしゃ聞こえまへん」というのは日本語としてちょっと通りが悪いですよね。どうも舌っ足らずな感じがする。
 さてそれが関ジャニ∞バージョンではどうなっているかと言うと、勿論「つんぼ」は使えるはずがなく、かと言って定番の「わしゃ聞こえまへん」でもない。「耳不自由で聞こえまへん」なのである。
 穿ちすぎかも知れないが、所謂「ポリティカリー・コレクト」な言い回しである「耳が不自由」というフレーズを敢えて示すことで「つんぼ」が使えない現状を皮肉っているんじゃないか、と感じられてちょっと可笑しかった。この曲における語彙の中で「耳不自由」は明らかに不自然なのだが、逆にその不自然さに一種の主張がほの見えたのである(やっぱり考えすぎかしらん)。