サザンオールスターズにはあまり良い印象が無いというのが正直なところでありますが、『世に万葉の花が咲くなり』が傑作であることは間違いない。聴く度に凄いと思わされるアルバムである。
サウンドの多彩さ、言い換えれば音楽的冒険の度合いが、大きな魅力になっていると思うのだが、歌詞の鋭さも見逃せない。殊に「ニッポンのヒール」や「亀の泳ぐ街」なんかが素晴らしい。「HAIR」は難しいけれど、凄い。確かにこの曲には「醜悪な音楽よストップ!」と言う権利がある。
が、先日改めて歌詞カードを見つつ聴き直していてハッと気付いてしまったのだが、曲によっては歌詞が何か言っているようで実は何も言っていない、かなり空疎なものがある。例えば「慕情」なんか本当に綺麗な曲であって、歌詞も詩的なフレーズが続くのだが、じっくり聴いてみるとただただ上滑りと思える。
「せつない胸に風が吹いてた」や「涙のキッス」、「君だけに夢をもう一度」も同様、と言えばまあ大体系統は摑めよう。曲はいいんだけど、歌詞はもうなんかフンイキだけあって実体は何も無いという文学的ガスである、と私には感じられる。「ポカンポカンと雨が降る」も、いつかバンドでも組んだらレパートリーにしてみたい、好きな曲であるが、歌詞についてはかなりその傾向が強い。
桑田佳祐がどういうつもりでこういう歌詞を書くのかは判らない。こういう歌詞しか書かないんだったら才能が無いのだろうで済むのだが、既に書いたように「ニッポンのヒール」なんか凄いのだ。「カメラがあれば覗きも仕事と呼べる」なんていつ聴いても唸ってしまうし、「亀の泳ぐ街」で描かれる「未来の神保町」は、誰も見たことが無いイメージでありながらノスタルジアをも誘う凄技。
ナンセンス歌詞だけが得意というわけではない。サザンではなく原由子のソロ曲ではあるが「ぼくはかいじゅう」なんか、本当に本当に歌詞が素晴らしくて私は聴くたびに泣いてしまう(のは個人的事情もあるのだが、ここでは割愛)。
そんな歌詞が書ける男が「慕情」のような小手先に甘んじるのは何故か。「どうでもいい」と思っているんじゃないだろうか。ショーバイとして書いているんじゃないか。どうもそんな気がする。このアルバムしか知らないから何とも言えないのだが。
なんだか悪口を書いたようだが、改めて言うけれども『世に万葉の花が咲くなり』は正真正銘の傑作で、プログレッシブ・ロックというのは本来こういうものを指すのだろうと思う。サザンを毛嫌いする人も一度傾聴するべきだ。
最後の二曲は要らないような気もするが(こういうのが一言余計なのか)。