こんなんだったっけ日記

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パクリとパロディの見分け方(理論編)

 先頃、[Champagne]という日本のバンドがオーストラリアのClubfeetというバンドの楽曲のPVをパクったことで(しかもClubfeet側が猛抗議してきたことで)話題になった。PVについてはバンドというよりも監督の責任であるが、これに付随して実は楽曲の方でもパクリがあるぞということが指摘されて、インターネット上では結構な騒ぎになった。

 楽曲のパクリ、もう少しちゃんとした言葉で言うならば盗作・剽窃、というのは大昔からあったことで、何も最近の若者のモラル低下といったことではないわけだが、問題をややこしくしているのは、これも言い尽くされた感はあるけれども、「パクリではなくパロディないしオマージュ(だから問題ない)」という意見が一定数あることである。

 面白いのは、パクリ疑惑のある楽曲について満遍なく「パロディ/オマージュ」としての擁護がつくかというとそうでもないようで、例えば奥田民生すかんちROLLY)なんかについては、むしろパクリと騒ぎ立てる方が無粋というムードがあるのに対して、B'zや10年ほど前にやはりパクリ問題で話題になったオレンジ・レンジなんかにはあんまりそういう擁護がつかないようだ。

 ここでは「オマージュとパクリ」とをどのように峻別するか(我々はどのように峻別しているか)、ということについて考えてみたい。


(1)元ネタの認知度

 既にある曲を自らの楽曲に引用する場合、それが「オマージュ」であるとするならば、一定数の聴き手がその元ネタに気付き、オマージュの意図に気付くことが必要である、と考えられる。そうすると、あんまりマニアックな曲ではなく、例えばハードロックにせよ歌謡曲にせよ、そのジャンルのファンなら大方が知っている曲を選ぶのが「スジ」というものであろうと言えよう。逆に、選曲があまりにマニアックだと「聴き手にバレないことを期待しているのでは」という推測が生じやすく、従って「(オマージュでなく単なる)パクリ」と認定されやすい。


(2)中心的な聴き手の知識

 バンドなりミュージシャンなりには、その音楽性などに拠ってある程度「偏った」ファンができる。例えばあるヘヴィ・メタルのバンドについたファンというのは、多くは他のヘヴィ・メタルハード・ロックのバンドも聴いている筈で、このジャンルにおける有名曲は常識的に知っている可能性が高い。そうすると、世間的にはそれほど有名ではなくともそのバンドのファンだけに絞ってみれば(1)で述べた認知度が非常に高い曲というのが一定数存在することになる。そのような楽曲を自作曲に引用するのはパクリというよりもオマージュと認識されやすい(パクリならバレないような曲を選ぶはずだ、と考えられるため)。

 逆に、先に挙げたB'zやオレンジ・レンジといったバンドの楽曲が「パクリ」として問題になるのは、彼らが非常に大衆的な人気を得たせいで、上記のファン層の「偏り」がかなり薄くなってしまった、つまり「ロック偏差値」が非常に低い人も彼らの楽曲を聴いているので、その分、元ネタに気付く人も少なくなる。そうすると「聴き手が気付かない曲を引用する=パクリ」となってしまう。


(3)ミュージシャンの芸風

 上記の二点は、簡単に言い換えると「パクっていることが聴き手にとって明解であるならばパクっても良い(パロディと認めてもらえる)」ということである。これに加えて、「悪意あるパクリではなく、ユーモアのなせるわざだ」として、許してもらうというテもある。奥田民生ローリー寺西が許されているのはこういう面が強いように思われる。彼らの音楽はある面、人を食ったようなところがあり、その性格と「先人の楽曲をいけしゃあしゃあと持ってくる」ということとは矛盾がない。要するにちょっと「笑い」の要素があるバンドだと、パクリも許してもらいやすい。

 反面、またしてもB'zであるが、一般的な印象としては「格好良い」が先立って、あんまり「ユーモア」「笑い」というイメージは持たれていないだろう。そうすると楽曲の引用も「マジに引用=パクリ」ということになってしまう。オレンジ・レンジはユーモラスなイメージもあったと思うけれど、いかんせん「10代の若者」というロック偏差値の極めて低い層にいきなり人気が出たため、(2)がカベになったと思われる。

 なお芸風ということで言えば、「昔のロックの影響が強い」ということが広く認知されているバンドでも、引用はオマージュとして受け取られ易いであろう。すかんちやラブ・サイケデリコなんかがその例になると思う。


(4)引用の意味

 自分でちゃんと曲を作ればいいものを、どうしてわざわざ先人の楽曲を引用したのか、という点について何らかの説明ができるならば「オマージュ」として認めてもらえる可能性はかなり高くなるであろう。これは例えば、ザ・タイガース「イエロー・キャッツ」の中で「猫踏んじゃった」のメロディーが唐突に流れるような場合、猫繋がりということで「引用の意図」がはっきりしている。適切な引用は和歌における本歌取りと同様に、楽曲により奥行きを持たせる効果がある。


 暫く考えてみた結果、大凡上の四点をどれくらい満たしているかが聴き手にとって「パクリかパロディ/オマージュか」の判断材料になるものと思われる。

 なお、上の四点を全て満たしていてもなお「その上でクレジットはきちんするべきだ」という意見もあろうが、私はそうは思わない。引用というのは「引用に気付く」という楽しみもあるのであって、クレジットはそのような楽しみを奪う場合がある。例えば、小説の中で

「これが緑色の瞳の獣というやつか」

・・・という台詞があったとして、これのすぐ下に「(嫉妬の比喩。シェイクスピアハムレット』による)」などと注記してあったら興ざめという他ない。注記しないと通じない不安があるなら最初からそんな表現は使うな、ということになるのである(これは上記(1・2)に直結する)。


 さて以上が「理論編」で、次回は「実践編」に移ります。お楽しみに。