こんなんだったっけ日記

さよなら はてなダイアリー

若紫(五・六)、末摘花(一・二)

21日
 新大系で23から27(秋の末つ方〜とのたまふ)。
 源氏物語は面白いなあと思いながら読んだ。源氏が少納言と話しているところに若紫の声が聞こえてくるところ。評論家めいた書き方になるが、子供の描き方が大変鮮やかである。あーあ・・・と思っている周りの大人たちのことも書いてあって、源氏を含めてその場の様子が目に浮かぶ。
 若紫の祖母たる尼が衰弱する中で源氏に若紫を託そうと思うようになり、彼女の死でそれが決定的になる、というのは、結局のところ、かつて藤壺の参内を母が嫌がったのが、この母があっさり死んでしまって参内が決まった、という経緯をじっくり時間をかけてリプレイしたというわけなのではなかろうか。

 「その言ふかひなき御心のありさまの、あはれにゆかしうおぼえたまふも、契りことになむ、心ながら思ひ知られける」という部分が、どうにも判らないのだが、「ゆかしうおぼえたまふ」というのは自敬表現なのだろうか。

 
22日
 読みそびれた。


23日
 新大系で28から帖末まで(あられ振り荒れて〜)。
 少納言ほか一同、源氏に若紫を一体どうして欲しかったのだろうか。父親に連れて行って義母にいぢめられるよりは、早いうちからでも源氏に引き取ってもらいたい、と思っていたようなのだ。それが、源氏が怪人二十面相の如く颯爽と現れて若紫を連れて行こうとすると、おろおろおろおろである。しらけちまうぜ(by小坂忠)。それからまた、本当に困るんだったらなんとか対処すればいいものを、この時代の人たちというのは危機対応能力とでもいうべきものがほぼゼロなじゃないかと思える。とにかく何か起こったらおろおろおろおろなのだ。僕も他人のことを言えた義理では無いけれども。
 しかし、娘を引き取っていくから付き人を一人添えろ、と源氏が言うのに家の者がおろおろおろおろなので「よし、じゃあ後から寄こすがいい」ときっぱり言い捨てるところは、ピカレスク的な格好良さがある。ピカレスクって、源氏を悪者扱いしているわけだが。あとの、源氏の自邸でぐずぐずする乳母に、「そは心なり。御身づから(=若紫)渡したてまつりつれば、(あなたが)帰りなむとあらば、送りせむかし」と言うところもハードボイルド。それに対して乳母が「笑ひて下りぬ」とあるのは、別本にある「わりなくて」が正しいと思う。とてもこの状況で笑える人でないだろう。

 若紫の初めて源氏に見せる歌。

 かこつべきゆへを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらん
  
無自覚ながら、もの凄い一撃である。これを言わせた作者がすごい。
 しかし紫の上って結局、自分が源氏に見初められた理由に気付くのだったか否か。憶えていない。


24日
 末摘花帖初めから新大系で7まで(〜あやうがりけり)。
 「こと人の言はむやうに、咎なあらはされそ」。こういった言い方からも知れるが、源氏というのは本当に「悪びれない男」である。


25日
 8から11まで(そののち〜出で給にけり)
 源氏が苛立っているのがよく描かれている。「いかなるやうぞ。いとかかる事こそまだ知らね」とかね。明らかに命婦に不満をぶっつけている。いつも思い通りになっている者が、上手くいかなくて苛立っているのを見るのは愉快である。性格悪いみたいだが。

 「いや、見むとしも思はねばにや見るともなし」というのは笑わせる。しかし頭中将もバカだね。これからどうなるんだっただろうか。