2日
「花宴」通読。朧月夜の帖、という方が判り易い。
宴があると、源氏が何かしら披露して、そんで周りの人々が涙する。今回だと左大臣。「うらめしきも忘れて涙をとし給ふ」。うらめしき、ってのがね。苦労させられているのだ。
舞だけではない。「文など講ずるにも、源氏の君の御をば、講師もえ読みやらず、句ごとに誦じののしる」。絵も上手いらしいし。鼻白むのだが。
藤壷に逢えぬものかと思うが上手くいかない。「なをあらじに(ソレデモ、ソウイウワケニハイカナイト思ッテ)」 というから、猶も藤壷に逢う策を練るのかと思ったら、そうじゃないんですね。とにかく誰か女を抱かなくては、ということなのだ。驚いた。こんなのがヒーローでいいのか。
それで上手いことこっちにやってくる女に手をつける。それが弘徽殿女御の娘。この女がまた、「この君(=源氏)なりけりと聞き定めて、いささか慰めけり」というのが、なんかこう、しみじみと哀しい。
しかし作者は、源氏に弘徽殿女御と関係を持たせようとは思わなかったのだろうか。かなりアリと思うのだが。同人誌的には。
若紫の成長について源氏、「おとこの御教へなりければ、すこし人馴れたることやまじらむと思ふこそうしろめたけれ」。なるほどねえ〜。本当に細かい心配りである(皮肉ではない)。
大殿で源氏が歌うのは「貫河」。新大系脚註によりますと、「親に仲をさかれても夫を思う妻を詠んだ歌。源氏は冷淡な妻を前に、これを歌う」。源氏って意外と「引きの美」を知らぬというか、やることが露骨である。空蝉の弟にもめちゃくちゃ言ってたしなあ。
源氏が物陰で嘆く朧月夜の手を捉えるシーン。これに似た場面が枕草子にあったと思うのだが。
締めが「いと嬉しきものから」。逆接か。上手いメロドラマですなあ。
3日
帖始めから新大系の区切りで9まで(〜とおぼさる)。
「世の中かはりて」って、桐壺帝が崩御したのかなと思ったら、譲位したということですね。
その桐壺院から源氏に忠告。「人のためはぢがましきことなく、いづれをもなだらかにもてなして、女のうらみな負ひそ」。ううむ何と言っていいのか・・・。
源氏は六条御息所に近づきがたい気持ちなのだが、女の方でも「心とけ給はぬけしき」であるのをいいことに、「それにつつみたるさまにもてなして」。ここ深いですね。「それにつつみたるさまにもてなして」。人間のずるさであるが、こういう二重三重の心理を丁寧に描くということが、同時代の他国の文学でも為されていたのだろうか、というのは気になる。
人間関係が判らん。朧月夜は弘徽殿女御と思っていたのだが、妹だったらしい。朝顔は六条御息所の娘と思っていたが、新大系の系図を見る限り繋がってはいないみたいだ。
有名な車争いのシーン。六条さんの、自らを惨めに思う気持ちに非常によく共感できる。不憫である。
源氏、「さらぬ顔なれど、ほを笑みしつつ、しり目にとどめ給もあり。大殿(=葵)のはしるければ、まめだちて渡り給ふ」。ここ可笑しい。アメリカのドラマみたい。