こんなんだったっけ日記

さよなら はてなダイアリー

"s"

 表紙のビートルズに釣られて今月号の『Player』誌を買ってしまった。それでパラパラ見ていたら、アマチュア・バンドらしい写真が幾つか載っていて、その内の一つ、女子高生5人組バンドの名前が「Five Dimension」。
 この子たちはThe Fifth Dimensionという60年代のコーラス・グループがある(多分現在も活動中)ということを知らなかったのだろうか・・・とちょっとイラっと来たものの、まあでも考えてみれば僕だってフィフス・ディメンションを知ったのは高校2年生ごろで、何で知ったかというと、友達から彼らの代表曲たる「Aquarius」と「Let the Sunshine in」のメドレーが入ったCDを貰ったのだった(なんであんなのくれたんだろ)。

 僕はこの「Aquarius」の歌詞が好きである。一番は大凡こんな歌詞。


  月が第七宮に宿り
  木星が火星と並ぶとき
  平和が全ての惑星を導き
  愛が星々を進めよう
  これがアクエリアス水瓶座)時代のはじまり
  アクエリアス


  調和と理解、共感と信頼に満ちて
  虚偽も嘲笑も最早ない
  黄金に輝き活気に満ちた、未来像の夢
  神秘なる水晶の天啓
  そして本当の精神の解放
  アクエリアス


  When the moon is in the Seventh House
  And Jupiter aligns with Mars
  Then peace will guide the planets
  And love will steer the stars
  This is the dawning of the age of Aquarius
  The age of Aquarius
  Aquarius!


  Harmony and understanding
  Sympathy and trust abounding
  No more falsehoods or derisions
  Golden living dreams of visions
  Mystic crystal revalation
  And the mind's true liberation
  Aquarius!

 ・・・すげえヒッピーだなあオイ、という歌であるが、このように図抜けた楽天というか、とにかく希望を高らかに歌い上げる歌というのが僕は割と好きなのだ。最初の4行が特に良いよなあ。元々ひねくれたモノの見方をする性格だとは思うけれども、非現実的なまでにまばゆいポジティブさには却って心を打たれる。この辺り、ピンク・レディーが好きな理由と共通しているように思われる。

 そう言えば村上春樹が『はいほー!』という結構昔のエッセイ集でこの歌の替え歌を載せていた気がするが、どんなものだったか忘れてしまった(確か山羊座のA型がワリ喰ってて、という話)。『はいほー!』暫く読んでないな、そう言えば。
 「水瓶座時代(the age of Aquarius)」については、インターネットで検索すると色々でてきます。


 話が逸れた。実はフィフス・ディメンションのことはどうでも良かったのだ。この「Five Dimension」という女子高生バンドの名前、「Five Dimensions」と複数形にした方がいーんじゃないか、とメンバーが誰か提案しなかったのだろうか、ということが書きたかったのである。高校生なんだから。実は単なる雑誌側の誤植かな?とも思ったのだが(今月号、誤植多し)、載っている写真にも「Five Dimension」とペイントしてあったので、おそらくこれが「正しい」のであろう。

 この複数形については、日本語であまり表現されないせいもあって(タチ、ドモ、ラといった専用の接尾辞は一往存在するが、代名詞以外には積極的に用いられない)、日本人が見落としやすい点であると言うことは昔から指摘されているが、それにしても昭和の戦前ならいざ知らず、これほど英語というものが世に広まって、世の中の人の大方は中学高校の六年間で英語の授業を受けているというのに、今以て非常に無頓着なのは不思議なほどである(自分の英語力は完全に棚上げしていますが)。

 例えばウチの近所にある100円ショップの名前は「The 100 Stores」という。これは珍しいパターンというか、付けなくていい"s"を付けてしまった例であるが、それにしてもちょっとあんまりじゃなかろうか。

 思い出しついでに書くと、何年か前にポテトチップスのCMに使われたコブクロの曲で、サビのフレーズが
  百万枚撮りのフィルムでも撮り切れないほどの思い出を・・・
 というものがあったが、この歌のタイトルがなんと「Million Films」であった。僕も英語力は貧弱なので、「百万枚撮りのフィルム」を英語でどう言うのかは判らないのだが(辞書を引くと、a roll of film with a million exposuresのようになるらしい)、少なくとも「Million Films」ではないことはすぐに判る。これじゃあ「100万個のフィルム」である。一個が36枚撮りだとすると(しかしデジカメ全盛のこの時代にこういう勘定もないわなあ)、3600万枚撮れるな。大抵の思い出なら撮り切れるであろう(尤も、厳密に言えばカメラのフィルムの意味でのfilmは不可算名詞であるから、数詞を付けるときには上記のようにroll ofを付けるらしい。Million filmsだと「百万本の映画」か?)。

 一昔前、「Jポップの歌詞の英語にはこんなにマチガイが含まれている!」ということを延々書いた新書があって、それを読んで「だからどーした」と思った記憶があるのだが(英語の間違いならネイティブが歌った曲の中にだって幾らでもある)、やっぱり日本人にとって英語を使うということが一つの「カッコツケ」である以上は、ちょっとの不注意によってそれが一気に「カッコワルイ」に転ずることを、みんなもっと認識した方が良いのではないかとは思う。