こんなんだったっけ日記

さよなら はてなダイアリー

モア・アンド・モア

 ここ2、3週間で随分沢山CDを買った。思いつく限り挙げてみると次の通り(大凡購入順)。


(新品)
ハリー細野&ザ・ワールド・シャイネス『Flying Saucer 1947』
ウイングス『Wings Over America』
マキシマム ザ ホルモン予襲復讐
フランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション『Roxy & Elsewhere』
バディ・ガイ『Rhythm & Blues』
アルバート・キング『Roadhouse Blues』
ザ・ビートルズ『At The Hollywood Bowl (Complete Collector's Edition)』(ブートレグ
ザ・ビートルズ『At Shea 1965』(ブートレグ


(中古)
ウルフルズ『レッツ・ゴー』
椎名林檎『いろはにほへと/孤独のあかつき
トライセラトップス『We Are One -Certificate-』
ブレンダ・パターソン『Brenda Patterson』
リンダ『ダーリン』『Candy』
ベン・E・キング『Don't Play That Song!』
バーバラ・リン『Hot Night Tonight』
ウルフルズ『トコトンで行こう!』
トライセラトップス『Level 32』


 広い世間にはこれくらいの数なら一日で買っちゃうという人も結構いるのであろうが、私にしてはなかなか多い。普段だとせいぜい月に2,3枚だから。
 上記の買い物には、A.予め「これを買おう!」と決めてあって買ったもの(計画買い)と、B.予定にはなかったが、CD屋で見つけて視聴するなりして気に入って買ったもの(積極的衝動買い)と、C.それほど欲しいわけではないのだが購入を促す事情――例えば、1枚だけ買って帰るのはなんか交通費とか勿体ない感じがするのでもう1枚何か買っておきたいとか、割引クーポンを貰うにはあと1000円分の買い物が必要だとか――があって買ってしまったもの(消極的衝動買い)の3種類があるが、改めて眺めてみるとAのパターンって結構少ない。
 ところで、今までで一番CDを買っていたのは中学・高校の頃かなあ、と思ったが、考えてみるとその頃はCDなんかそうそう買えずに、レンタル屋や図書館を利用することの方がずっと多かった筈だ(これはまあ、今も同じですけど)。例えば高校2年生の頃の私の月々の小遣いは5000円だった。大金ではあるが、国内盤なら2枚、輸入盤でも3,4枚買えれば御の字という額でもある。参考までに書くと上記のビートルズ『At the Hollywood Bowl』は確か4600円だった。高校2年の頃にこんなものを買ってしまったら、あとはツタヤで1枚レンタルしてその月はお仕舞いだ。
 それに較べれば今は随分気軽にCDが買えるようになったものだ。大人になるというのは素晴らしい。
 しかし、いい事ばかりはありゃしない。まず、沢山買ってしまうと、1枚に注ぐ熱量がその分減ってしまうという問題がある。なまじ良いアルバムだったりするとやはり勿体なく感じる。
 また、ある意味でこれよりも深刻な問題として、CDの枚数が増えると、その分占める場所も増え、少しずつ少しずつ生活空間を圧迫してゆく。で、それに伴ってどこに何があるんだか判らなくなってゆくのだ。
 現在持っているCD(CD-Rを含む)は多分500枚か600枚。プロの音楽評論家なんかは万の単位で持っているそうだから、それに較べれば随分可愛いものであるが、しかしね、それでも充分困ります。一応、「奥田民生はこの辺り」とか「プログレはあの辺り」とか、決めてあるところもあるのだが、曖昧なところの方が多い。容易に予想が付くように、普段あまり聴かないCDを、ふっと思い出して聴いてみようかなというような場合に、なかなか見つからない。先日もアース・ウィンド・アンド・ファイアのライブ盤(in Rio)を久し振りに聴きたいなーと思って、随分探した。
 それでミュージシャンの名前順とかにきちんと並べ直そうと決意したのだけれど、未だ手付かずである。


 ところで、話が戻るんだけど、仮に持っているCDアルバムの枚数が700枚としてですよ、1日に聴くのが2枚とすると、1年でこの700枚が消費できるわけだ(実際にはアルバム2枚聴く日というのはあんまりないけど)。
 そうすると、逆に言うと、ビートルズの『Revolver』も、レッド・ツェッペリンの2枚目も、ジェフ・ベックの『Blow By Blow』も、ピンク・フロイドの『原子心母』も、スティーリー・ダンの『彩』も、レッチリの『By The Way』も、サーフィスの『Warm』も、椎名林檎の3枚目も、ラルク アン シエルの『Real』も、グレン・グールドの『モーツァルト ピアノ・ソナタ集』も、アート・ブレイキーの『Moanin'』も、どれも1年に1回しか聴かないわけだ。そんなことでいいのか。実際、『原子心母』なんか大好きなアルバムなのに、最後に聴いたのがいつなのか全く思い出せない。
 仮に1年に1回聴くとして、且つ自分が90歳まで生きるとしても、これからの人生で『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』を聴く回数はたったの65回!?とか考えて、恐ろしくなってしまった。俺は死ぬまでに「A Day in the Life」をあと65回しか聴かないのか!?
 そう考えると、なんか「未知の傑作」を逃すことよりも、「既知の傑作」を聴く回数を減らしていることの方が、勿体なく感じるんですよね。と言いつつ色々買っちゃうんだけどね。上記のアルバムでも、マキシマム ザ ホルモンのやバディ・ガイのは今年出た新作であるが、どちらも素晴らしい出来である。
 上で「2枚/1日なら700枚を1年で消費」と書いたが、実際には700枚の中には「これ二度と聞かないな」というモノもそれなりにあるわけで、そういうものは極力排除して、良いモノを厳選して何回も聴くというのが正しい在り方なのであろうか。でも、最初に聴いてつまらなかったものが期間を置いて聞き返すとドンズバということもたまにあるしなあ(私の場合、ボブ・ディランなんか正にそれだった)。難しいところである。
 知らない音楽がまだまだ沢山あって、その中には傑作が幾つもある筈なのだ。しかし、現在知っている音楽の中にも素晴らしいものが既にありすぎるほどあって、限りある人生の中でそれらをなるべく沢山聴いておきたいのだ(「金はあの世に持っていけない」とよく言うが、レコードだって持って行けないぜ)。
 どうすりゃいいのさサマータイムブルース。今はまあいいけど、老境にさしかかったら本当に深刻な問題になる気がする。
 結局、肝心なのは「なるべく長生きする」ということであろう。