こんなんだったっけ日記

さよなら はてなダイアリー

ウルトラセブン抄

 先日観に行った展覧会に触発されて、一日一話「ウルトラセブン」を観るのが最近の楽しみになっている。いまDVD二巻分、第八話まで見たところである。
 どの話も楽しめるが、テーマ設定やら娯楽性やら自分の好みやら勘案すると、好きな話というのは自ずと絞られてくる。この二巻だと、特に好きなのは第三話「湖のひみつ」、第六話「ダーク・ゾーン」、第八話「狙われた街」になる(これらは一般の評価も高い回と思う)。その魅力について少し書いてみたい。このブログを読んで下さっている方は現在関ジャニ∞のファンが多くいらっしゃるようだが、錦戸亮も『あおっぱな』のジャケットでスペシウム光線のポーズをとっていることだし、エイターがウルトラマンについて見聞を深めておくのも悪くなかろう(なんのこっちゃ)。
 さて。第三話「湖のひみつ」は、ウルトラシリーズの中でも特に有名な怪獣エレキングが登場する回で、こいつが湖の中から今まさに登場せんとするところでCMに移るのなんか実にシビれる(エレキングだけに)。
 これに先行する第一、二話ではセブンVS怪獣の大立ち回りというのは殆ど見られないだけに、この回は殊に痛快である。ウルトラホークが不時着して、ゴムボートで急流下りをするウルトラ警備隊(しかも竹竿で漕いで・・・)をエレキングが追いかけるシーンもスリリングだ。アイスラッガーによりトドメを差されるシーンで一瞬静止が入る格好良さも、鳥肌モノ。とにかく活劇として楽しめる一話。


 第六話「ダーク・ゾーン」は、数年前に見たはずなのに今まで忘れていたのが不思議なほどの傑作。これは説明しだすと長くなるのだが、頑張って書きたい。
 話の柱となるのは宇宙都市ペガッサ。都市とはいうものの巨大宇宙船のようなものらしく、操縦により運行している。これがコントロールを失って地球に近付いてきていて、このままでは大衝突だ。ペガッサから地球に通信がある。「今から80時間の間、地球の軌道変更を要請します」。
 これを受けて動揺する地球防衛軍。地球の軌道変更なんて出来るハズがない。結局、衝突前にペガッサを爆破しようということになる。
 無情なようであるが、この決定についての防衛軍参謀の意見はこうである。「間もなくペガッサ市は地球の軌道に入る、そうなると大変なことになるぞ。ペガッサ市は今、全力を挙げて動力系統の修理を急いでいるだろうが、間に合わなかった場合、彼らの恐るべき科学で地球を破壊しようとするだろう」
 つまり地球とペガッサとは、「衝突は何としても(平和的に)回避したいが、それが不可能となれば、自分たちの人民と星とを守るために、相手を迎撃せざるを得ない」という認識にあり、この認識を有する点で地球人とペガッサ星人とは完全に同じ立場にあるのである。ここまで「地球人」というものを相対化して描けるものなのか、と見ていて驚かされた。


 この、地球を宇宙に無数にある星の中の一つして、そして地球人を宇宙に無数にいる宇宙人の中の一つとして、相対的に捉えようとする観点は、地球に潜伏している一人のペガッサ星人の発言によって一層先鋭に描かれる。
 彼は負傷してウルトラ警備隊内の一室で、影のような姿で息を潜めている。助けられたアンヌとダンに対しては心を許している(但し自分がペガッサ星人であることは最後の方まで隠している)が、三人の会話の中に次のような発言がでてくる。
――へりくだるなよ。地球人だって立派な宇宙人じゃないか。
――みんな同じ宇宙に住む仲間同士さ、はっはっは・・・、そのことがあんた方と付き合ってよく判ったよ。
 この辺り、地球人とペガッサ星人という二種の宇宙人の友好関係が、素晴らしいBGMと相まってしみじみと伝わってくる。
 ペガッサ星人は二人にこうも述べている。
――こんな大きな宇宙の中に、地球と私たちの町が、一緒に生きる場所がないなんて、なんという悲しいことだろう。


 先ほど、地球とペガッサとが全く同じ立場にあると書いたが、実はペガッサの方が地球よりも科学技術の面でずっと発展していて、このことがこの話の一つのキモでもある。正体を隠した影男はアンヌとダンに、ペガッサ星人の要請するように地球の軌道を少しの間変えておいてやればいいじゃないか、と事も無げに言う。そしてそれが地球人には不可能であることを知らされると、血相を変えて(まあ表情は見えないんだけど)こう叫ぶのだ。
――なんだって、おい! 地球は自分で動けないのか!? 勝手に動いている物の上に人間は乗っかってるだけなのか!?
 この「勝手に動いている物の上に人間は乗っかってるだけ」という発言には頭をガーンと打たれたような衝撃を受けた。今まで地球の上に暮らしてきて、そんな風に考えたことはなかった。
 いや、こういう人間存在の頼りなさを突く表現は今まで書物の中などで何度かは見たことがあった気もするが、こんなにも虚を突かれる表現に出会ったことはなかった。そして、自分自身が地球人であるにも関わらずここまで相対的に地球人を表現したセリフを書いた脚本家(若槻文三氏)にも恐れ入った。私がSF馴れしていないせいもあろうが、実に刺戟的である。
 これ以外にも、爆撃前にダンが必死にペガッサの市民に退去を呼びかけるも誰も応じないシーンなど、胸に迫るシーンが幾つもあります。ラストシーンで映される星空は、その星々に暮らしている人々のことを喚起し、そして我々地球人もやはりその一つであるということを感じさせてやまない。
 先述のエレキングの回と違い、セブンと怪獣のバトルを楽しむなんて部分は全然無いが、これもまた「ウルトラセブン」の紛う方なき名作。


 蛇足的に書くと、上の第六話「ダーク・ゾーン」に続く第七話「宇宙囚人303」も良くって、最後にこの「囚人303」である脱獄殺人犯キュラソ星人(不気味ですコイツ)が火炎に包まれて、むせび泣くように死んでゆくシーンが優れているのだが、そこにダンがこう語りかける。
――広い宇宙でも、もう君の逃げ場はないのだ、キュラソ星人。だが、それは自業自得というべきだ。宇宙でも、この地球でも、正義は一つなんだ!
 文字ではお伝えしにくいが、このセリフ、一言一言を嚙みしめるように言っていて、胸に響く。前話「ダーク・ゾーン」で正義は一つじゃないことを示したばっかりじゃん・・・とツッコミを入れてしまうのだが、この話だけ切り離して見れば、これもまた名シーンです。
 また、この回は特撮も見もの。先のキュラソ星人の終焉シーンもそうだが、三台のウルトラホークが空中でドッキングするシーンも特撮の面目躍如である。
 なお、この回における地球の描写については「ULTRASEVEN CRAZY FAN BOOK」という素晴らしいファンサイトにて驚愕の事実が指摘されています。必見。


 最後に第八話「狙われた街」。これは以前に書いたようにラストのナレーションが忘れがたいインパクトを持っているのであるが(この部分は金城哲夫の脚本にはなく、監督の実相寺昭雄が付け加えたものだとか)、改めて見てみると色々凄い。
 まず前半は「狙われた街」である北川町に暮らす人々に起こっている異変を示すために、カーチェイス、葬儀、銃撃戦、取調べなど、かなりハードな映像が続く。BGMを極力抑えていることが却ってそれらが淡々と進んでいるように見せ、不安感を煽る。子供にトラウマを残すんじゃないかと思うくらいである(少なくとも喜んでは観ないだろう)。
 映像は全体的に、過剰なまでに影を強調していて、ウルトラ警備隊内の光景なんか非現実的なまでに暗く、殆ど実験演劇のようだ。それが格好良い。また、採掘場のようなところでどこからともなく聞こえてくる「今すぐに手を引け」という警告を一人聞いた諸星ダンにぐぐぐぐっと近付いていくカメラワーク、非常に痺れる。カッコエエですよねえココ。
 BGMは抑えていると書いたが、例えば上の警告のシーンではいきなりモーツァルト室内楽のような音楽が流れ始める。これは冬木透のオリジナル曲だそうだが、こういう唐突にクラシック風の音楽が流れるシーンが幾つかある。かの有名な(と言ってもウルトラマンに多少関心がある人の間で有名なだけであるが)、ダンとメトロン星人がちゃぶ台を挟んで対峙する名シーンもその一つである。大方のシーンでBGMを抑えている分、余計にドラマチックに響く。
 音楽ではないが、夕暮れの中ダンの帰りを一人待つアンヌを捉えたシーンで、バックに野球中継が流れているのも、何とも説明しがたいが、現実感があるようなないような浮遊した感じで、「たまらん!」という気分にさせられる。
 ところで、上記のカメラワークとか音楽とか、こういうのどこかで観たなあと思ったら、「新世紀エヴァンゲリオン」なんですね。今や万人が知るところであるが、エヴァにはセブンを含むウルトラシリーズへのオマージュが散りばめられていた。
 ついでながらこの回でも、メトロン星人ウルトラセブンに対し「同じ宇宙人同士…」というような言い方をしており、地球人VSその他の宇宙人という構図が採られていて、第六話のテーマは継承されていない。