こんなんだったっけ日記

さよなら はてなダイアリー

『PUZZLE』ユニット曲

 『PUZZLE』限定盤のDVDには、(ジャンケンで決められた)ユニットによる楽曲が3曲収録されていることは周知の通り。曲数は多くないが、何しろ大傑作が含まれているものだから、これについて現時点での感想を以下に述べておきたい。


1. Glorious (渋谷・錦戸・大倉)

 もろバックストリート・ボーイズ風のバラードである。このテの曲は、聴き手の「ツボ」に左右される部分が大きくて、ある人にとっては大名曲でも、別のある人にとってはとんでもなく退屈な曲、というようなことがよくある。そして、率直に言えば僕にとっての「Glorious」は後者である。全編英詞ってのがまたどうもな。
 ツボがずれてもうちょっと好きになった時に、改めて感想を書くこととしたい。
 

2. Kicyu (安田・横山)

 すげえよこれ。大傑作。
 まさしく奇跡の一曲であって、僕が今までに聴いた関ジャニ∞の楽曲の中で間違いなく五本の、あるいは三本の指に入る。何しろ「すごはち」応募時の楽曲リクエストではこの曲に投票(しようとしたら選択肢に挙がってなくて、代わりに「願い」に投票)したくらいである。
 作詞・横山裕、作曲・安田章大、編曲・高橋浩一郎。作風としてはトラジ・ハイジの「ファンタスティポ」(これも大好きです)とかなり似通っているが、それをもぴょーんと凌ぐ出来である、と思う。アートというのは作品そのものが全てなんであって、それを誰が作ったかなんてことは究極的にはその価値とは無関係なのではあるが、それにしてもこの曲を(編曲者の貢献も大きいとは言え)、関ジャニのメンバー自身が作ったのだと知った時には、正直恐れ入ったですよ僕は。
 さて、ではこの曲の魅力はどの辺りにあるのか。曲・編曲・詞の3点から検証してみようと思う。


 まず曲であるが、ともかく凄まじくポップである。安田の曲は「プリン」「オニギシ」からポップではあったが、この時点ではやはりまだ凡庸の枠から出られていなかった(それでも「プリン」はなかなか良かったが)。次いで「わたし鏡」では既にaikoばりのポップセンスを見せていたが、やや冗長なきらいもないではなかった。そんな中で『PUZZLE』期においては(「アイライロ」もかなりカッコイイが)「desire」と「Kicyu」という屈指の傑作をひねり出したのだから正に才能開花と言うべきであろう。「desire」についてはここでは措くとして、「Kicyu」について言えば(1)ポップで(2)無駄がなく(3)しかし凝っている、という3点にその魅力は集約されると言えよう。
 (1)のポップさについては一聴瞭然なので特に述べないとして、次の(2)無駄がないについて。この曲の長さは約5分である。先に触れた「ファンタスティポ」が4分ちょいであるから、同様の曲想でありながら1分近く長いことになる(まあこれは、このテの曲にしては「ファンタスティポ」が短めなのでもある)。が、これはイントロ含め間奏が長いことや、1番でAメロを繰り返していること、大サビ前にCメロを入れていることといった理由によるものであって、各々のフレーズはむしろシンプルであると言える。また、「ファンタスティポ」がAメロ→Bメロ→サビという言ってみればごくごく一般的な構成であるのに対して、「Kicyu」にはBメロがない。つまり、A→A'→サビなわけであるが(1番の場合。2番はA'→サビ)、それでどうやってサビに繋いでいるかと言うと、A'の後半で「まさーかーのかんーせーーーつーーーきーすーーーなーーーのーーーーーーー?♪(ドラム:ズンドコドコドコドコドン!)」という、まさかの大引き延ばし作戦で無理矢理に変調させて、そこにごく短いながらも必殺のフック「君も/僕も♪」を架け橋にして見事にサビへと繋いでいる。ここら辺がつまり(2)且つ(3)なワケである。
 また、各フレーズの処理も逸品で、全体的には明るい曲の筈なのに、サビの締め方などは意外にしっとりとしていて、心憎い。また、「そのクチにふれたいよ」「あのコよりも」などで裏声を活かしたCメロも切なげである。


 この辺りの折衷具合というか、バランス感覚は、編曲の力を得て増幅されている。メイキングで語られているように、ディスコ・サウンドにすることは作曲者の安田自身の念頭にあったようであるが(それをアコギで作っちゃうのにも感心するが)、具体的なサウンド・メイキングは勿論編曲者の高橋氏によるものであろう。ディスコと言えば「イッツ マイ ソウル」のようなブラス(金管楽器)によるサウンドが一つの定番であるが、「Kicyu」ではもう一つの定番であるストリングスによって彩られている。この点も「ファンタスティポ」と全く同様であるが、「ファンタスティポ」が作曲の面でも編曲の面でも、言わばウケ狙い的に昭和50年代のディスコ・サウンド(更に言えば、筒美京平が手がけたスリー・ディグリーズのような、所謂「ディスコ歌謡」)を追究しているのに対して、「Kicyu」では、作曲の安田にはそのような意図は全然なかったであろうし(だから上記のような変則的なメロディーを書いたわけである)、編曲者もその辺りの意図を汲んで、レトロにはあまり走らずに「歌謡」ではなく「ポップス」に仕上げている(これはどちらが良いとかいうことではなく飽くまでも指向性の問題である、念のため)。
 さて、ブラスもストリングスも聴き手に高揚感を与えてくれるが、軍隊の行進がトランペットなどによって先導されることに象徴的なように、ブラスの高揚感というのは肉体に直接作用するような感じがあるのに対して、ストリングスの方はむしろ心理に作用するというか、ある意味「切迫感」の如き高揚をもたらす。このことが「Kicyu」において顕著なのはやはり最後の大サビであって、2回目(♪大人になってもずっとKicyu〜)では16分音符の高音・高速フレーズをこれでもかと繰り返す。この追い立てられるようなムードは実に刺激的である。
 ただ、ディスコ・サウンドのノリノリ(今風に言うとアゲアゲ……いや、これももう古いのか)な曲で高揚する、というのはむしろ当たり前なのであって、この曲の面白さは静と動の、「静」の方の強調が大きいことであろう。どこかと言えば無論Cメロ部分である。これがなくても曲は充分成立するわけであるが(実際、「ファンタスティポ」にここに相当する部分はない。そもそも、本来のディスコ・ミュージックの目的からすれば、「静」の部分があまりハッキリしていると踊るのに邪魔なのだ)、このCメロがなかったら「Kicyu」はここまで痺れる曲にはならなかったろう。
 何しろ、この部分の「君も/僕も」は、このフレーズ自体は曲中で3回目なのだが、明らかに前の2回とは違う。息を呑むほどの緊張感が漲っているのが判るであろう。この痛いほどの緊張からサビの爆発へと至る所こそが、この曲の最大のキモである。その意味で、『PUZZLE』ツアーDVDで、この部分で安田がちょっと詰まったのは実に惜しかった。
 ところで、この「君も/僕も」は、曲中の3回で全てアレンジが異なる。まず1回目が完全に無伴奏(これもこのテの曲としてはかなり実験的)。2回目はドラムがしっかり鳴っている。で、問題の3回目は、実は全くの無音ではなく、キーボードか何かで、浮遊するような音が非常に小さくではあるが鳴っている。この微音によって、1回目の無伴奏よりも静寂・緊張感が却ってビシビシと伝わってくる。芸が細かいです。


 最後に歌詞である。これまた素晴らしい。横山裕の歌詞の特徴として「子供」の視点から書くということが挙げられる。しかも高校生ではなく小中学生(思春期入りかけ)の視点であるというのがまた独特であるが、「プリン」「オニギシ」「413man」では、その「子供」というのは母親・祖父など血縁関係における「子供」であったのに対して、この曲では「大人」と対比される「子供」である。勿論のこと両者はある意味では表裏一体なわけであるが、「Kicyu」では今までになく後者に傾斜した(ダジャレではありません)作風になっている(僕が知らないだけで「Kicyu」以前にもそういう曲があった場合には素直に無知を詫びます)。
 子供視点であることの長所として、抽象的なことをぐだぐだ述べる必要がなく、ただ経験と感想(この場合は「kissとchuは何が違うねん」という疑問と「君の唇に触れたいわ」という欲求と「併せてkicyuでええやんか」という結論)が、ごくごく平易な言葉で連ねられていっていて、ムダがない。「kissとchuを併せてkicyu」(ところでどうしてkichuじゃないんだろう?)というのはいかにも短絡的だし、「2人しか出せないLOVEパワー」などというのは、はっきり言って意味不明であるが、そうした点も子供(しかも幼い子供)の視点であるということと、更に享楽的なディスコ・サウンドとによって、違和感なく処理されている。
 それからもう一つ、作詞家横山裕の特徴として「エピソードを引き出すのが上手い」ということが挙げられる。例えば「オニギシ」なら、はっきり言ってこの「オニギシ」という言葉(発音)そのものが子供時代のエピソードとして絶品であるし、「413man」(これは経験――実体験であるか否かは別として――の記述に満ちた曲であるが)だと、特に葬式のシーンが子供のやり切れなさを表していて非常に優れている。そして「Kicyu」ではヒラドツツジ(歌詞カードでは「ヒラト」となっているがヒラドが正しい)の思い出である。子供時代の、口づけにまつわる思い出として、これくらい相応しいものはちょっとないであろう。僕の小学校の通学路にも咲いていました、ヒラドツツジ。「まさかの間接キス」というフレーズもめちゃ可愛い。
 本人としては実に真面目なのだけれどちょっとヌケている、という子供の可愛さと悲しさを表現するのに長けた横山であるが、「413man」が悲しさ寄りであるのに対して「Kicyu」は可愛さ寄りと言える。同時期にこの2曲を出してのけた横山というのは、やはりほぼ同時期に「desire」と「Kicyu」を出した安田に比肩する才能の持ち主と言って良いと思う。

 
 そんなこんなの大名曲。作曲者の安田がメイキングで「カワイイとカッコイイが混ざったみたいな」と述べているが、その通り歌詞は可愛く、曲とアレンジは格好良く、そしてまた実はシリアスでもある。この多彩さと質の高さ、「ファンタスティポ」のようにシングル化されなかったのが本当に悔やまれる。それどころかCD化すらされていないせいで、カラオケで歌うことも出来ないのである。来月発売の『8EST』は正確にはベスト盤ではなくシングル集であるが、いつか本当のベスト盤が出る暁には、少なくとも「desire」と「Kicyu」は絶対にCD化して収録されるべきであると断言する。
 じゃあ「torn」は入れなくていいってのかよおお、などとインネン付けられると困りますが。


3. You Can See (丸山・村上)

 ………………。
 あっ、「Kicyu」について思う存分書いたので終わってしまうところだった。まだ1曲残ってました。
 「You Can See」は、音数の少ないアレンジが格好良かったり、サビのメロディーが綺麗だったりで(作編曲の佐伯youthKという人はこの時点で新人だったようだが、充分な仕事をしていると思う)、割と好きなのだが、但しこの曲は歌というよりもむしろ「ダンス用」なんだな、というのが『PUZZLE』ツアーのDVDを観て判った。PVだとシックとコミカルを折衷させたような形になっているが、コンサートだとそれが完全にシック寄りになっていて……まあ要するに格好良いです、間奏のダンスなんかが。