こんなんだったっけ日記

さよなら はてなダイアリー

賢木(二〜九)、花散里

13日
 新大系の区切りで8から14まで(十六日〜限りなし)。
 桐壷院崩御。朱雀帝というのは、弘徽殿女御の息子の筈だが、どうしてどうして良い人そうである。女御の父親(初出?)はこれまたワルらしいが。ワルっていうか、貴族社会ではこれが普通だったのかも知れないが。
 桐壷院は、「御位を去らせ給といふばかりにこそあれ、世のまつりごとをしづめさせ給へる事も、我御世のおなじ事にておはしまいつる」。
 それって院政とちゃうの。


14〜16日
 15から28まで(宮は〜いとおしがりきこゆ)。ちまちまと4ページづつくらい読んでいった筈だが、全然憶えていない。どっかに、兵部卿宮が今では紫上と自由にやり取り出来る、みたいなことが書いてあったと思うが、いつの間にそんなことになっていたのかも憶えず。


17日
 読みそびれた。


18日
 29から34まで(宮は〜まいり給へり)。
 「それは、老いて侍ればみにくきぞ」っていうのは笑える。春宮はそこまでは言っていないのに。


19日
 35から40まで(まづ内の〜いかがはせむ)
 左大臣側、つまり源氏側が凋落しているという風景。これもいつの間にこんなことになったのやらという感じがする。ともかく桐壷帝は偉大だったのだという、生前は全然そんなこと感じさせなかったのだがともかく崩御のちょっと前あたりからそういうことが既成事実化していたのであった。しかし源氏を見て敵方が「白虹日を貫けり」と呟くというのは、なかなかカッコイイ悪役である。
 源氏賛美について、「常に同じ事のやうなれど(イツモ同ジコトヲ言ウヨウダガ)、見たてまつるごとにめづらしからむをば、いかがはせむ」。さいざんすか。


20日
 41〜45(はての日〜おぼし出づる事多かり)。


21日
 46〜帖末(司召のころ〜)。


22日
 「花散里」一帖。
 これはこれだけで一篇の小説と思える。最後の「ありつる垣根も、さやうにてありさま変はりにたるあたりなりけり」が完璧にオチになっている。教科書にでも使えばいいのに。


 新大系の巻一読了。これまでの半分くらいのペースか。