皇室の文庫展
昨日、雨のそぼ降る中(段々ひどくなっていった)、皇居・三の丸尚蔵館の「皇室の文庫(ふみくら)展」を見に行った。大手町を降りてすぐ。点数は多くないものの、なかなか充実していて楽しめました。
なんだか上品気なオバサマが結構いた。二人連れが基本のようだ。脇で、日本書紀の写本を見ていたあるオバサマは、相方に「この天照太神っていうの、今の人はテンショーダイジンって読む人が多いんですって」と言っていた。そう言われると、却ってテンショーダイジンではダメなのかよ、と絡みたくなってしまう。日本書紀はヤマトノフミノリって読まないぜ(但し、その写本では悉く訓読みの仮名ルビが付いていたが)。
その人が、三条西実隆の源氏写本を見て、「これ紫式部が書いたの?」と言っていたのにはちょっと笑いそうになった。そんなモンがあったら大騒ぎ、大阪万博の月の石ばりの混雑になるはずである(現場を見たわけではないが)。
しかし、そんなモンがあるわけがない、ということ(つまり平安時代の仮名文の残存度合いの低さ)というのは、学校でも教えてくれないし、なかなか知られていないことであるので、ここでオバサマの無知を嗤うのも悪趣味ではある。
それに限らず、見ているヒトが「これ、本物?」「これ、原本?」というようなことを言うのは何度か耳にした。原本というのはよく判らないが、本物というのは多分、「著者直筆」という意味であろうと思う。しかし、日本書紀の著者直筆って、舎人親王ってことか? そんなアホな、と言いたくなるが、でも実際のところ、所謂「古典」の大方は転写された形でしか残っていないのだということは、これは確かに教わらないと判らない。僕だってつい最近まで紫式部直筆の源氏物語というものが存在すると思っていた筈である。
寂恵の古今集には、意味注釈だけでなく、朱点でアクセント、清濁の注も打たれていた。
あと、漢籍について、王様の名前の漢字はそのまま使っちゃいけないので最終画あたりをわざと欠くということが紹介されていて面白かった。これはベトナムにもある。日本でもまったく同様のことがあるのかどうかは知らない(後宇多天皇の諱(世人・よひと)をそのまま発音できなかったということが伊勢物語か何かの聞書・注釈から判るというのは、遠藤邦基氏の研究で読んで知った)。でもそんなマニアックなことよりも資料の残存についての基礎を教えたほうがいいと思うけれども。
つい訓点を見てしまうのであるが、日本書紀のいわゆる図書寮本、北畠本とも言うそうであるが、永治年間の書写だそうだけれども、僕は仮名の形とかではとても書写年代の判断は出来ないが、あの濁点の打ち方(現行のモノと同じ、仮名の右肩に双点)は、明らかに室町時代以降のものじゃないのか。どういうこっちゃ。
タダだから行ったのに、そのあたりのことも気になって結局1400円の図録を買ってしまった。
帰りは東京駅のタワレコ(ミニとかいうやつ)で、椎名慶治の『I』を予約してきました。
その後、部屋で尾崎左永子『古典いろは随想』を読んでいると、近年は天照大神をテンテルダイジンと読む人が増えているっ、と書いてあって笑った。確かにテンテルというのは面白い。