こんなんだったっけ日記

さよなら はてなダイアリー

葵(三〜六)

5日
 新大系の区切りで17から22まで(かかる御物思ひ〜かたはらいたうおぼさる)。
 あまりに心地がすぐれないんで余所に移って修法を受けて、それを源氏が訪って・・・と、これ葵上の話だと思って読んでいたら歌の詠み交しのところでドウモオカシイゾと思って確認すると六条さんであった。
 「すべてつれなき人にいかで心もかけきこえじ、とおぼし返せど、『思ふもものを』なり」というのは、定家の「奥入」によると「思はじと思ふも物を思ふなり思はじとだに思はじやなぞ」というのが本歌だそうだが(なんか深養父にこんなのなかったか)、なんかちょっと、♪忘れようとしても思い出せない、という歌をちょっと髣髴させる。逆なんだけど。

 さて、ゴシック小説の祖である源氏物語、葵上に話しかけているつもりだった源氏に、「いで、あらずや。(中略)かくまいり来むともさらに思はぬを、物思ふ人のたましひはげにあくがるる物になむありける」と、「なつかしげ」に返答がされる。実にコワイ。この「なつかしげ」というのが、註では御丁寧に「いかにも親しそうな表情で」とされている。要するに明らかに普段の葵上と様子が違うということである。ここの「なつかしげ」の落差を大きくするために作者はこれまで葵上を無愛想に描いてきたんじゃないかと思える。
 その後も、「の給声、けはひ、その人にもあらず変はりたまへり。いとあやしとおぼしめぐらすに、ただかの御息所也けり」「ただそれなる御ありさまに、あさましとは世の常也」で、緊迫感を煽る煽る。
 

6日
 23から31まで(すこし御声も〜ほうしよりはけなり)。
 芥子の香がしみついて取れない。これもまたエドガー・アラン・ポーちっくである。霊がばあ〜などというのとはまた違う怖さ。
 産後の葵上、訪う源氏(かつてなく優しい)を「常よりは目とどめて見出して臥し給へり」。イメージ喚起力ある描写。その数行あとで驚くほどあっさりと死が述べられる。
 火葬の後、「空のみながめられ給て」というのは「大空は恋しき人の形見かは物思ふごとにながめらるらむ」という古今集の歌より。判るなあ、という良い歌である。続く、「のぼりぬる煙はそれとわかねどもなべて雲ゐのあはれなる哉」も沁みる。ここを初めて読んだのは二年前の一月末ごろのある日の晩、寒風吹きすさぶ大阪駅のホームで岩波文庫で読んだのだった。ちょうど飼っていた犬が死んだばかりで、物語中の人物の死にもいちいちしみじみとしたものであった。それで憶えている。
 「われ先立たましかば」と思う源氏、こういった切ない系(という言い方も軽くって嫌だが)の描写については源氏はピカ一である。


7日
 32から35(若君を〜うち泣きなどもし給けり)。
 読むたびに不思議なのだが、不仲だったとはいえ(晩年は関係改善)、奥さんを殺された相手に対して気を遣うという心理は一体なんなのだろうか。


8日
 読みそびれた。


9日
 36〜41(時雨うちして〜そそのかしきこえ給)。
 みんな涙に暮れている、という話。
 三位中将が、憂えに沈む源氏を見て、もし自分がこの人の女だった・・・と思う場面があり、それで思い出したのだが、どの帖だったか、対面する源氏と兵部卿宮(だったと思う)が、お互い心の中で「もしこの人が女だったら・・・」と考えるという場面があってこいつら何考えとんねんと思ったのを思い出した。これらは男色なのか、それともあくまで相手の中に(あるいは自らの中に)「女」を見いだしているという点で実は男色からは最も遠いものなのか、いやいや実は男色とは本質的にそういうものなのか。なかなか考えさせられる。

 しかし、元祖ゴシック・ホラーの上に元祖やおい(という持って行き方も強引だが)。こりゃ女の子に大人気(ほんまか)なのも当然なのだ。