こんなんだったっけ日記

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紅葉賀(三・四)

30日
 新大系で15から20まで(四月に〜つらしと思へり)。
赤ちゃんが源氏に似ているというのを帝が嬉しそうに話すのを聞きながら、源氏、「面の色変はる心ちして、おそろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがたうつろふ心ちして、涙落ちぬべし」。素晴らしい表現。「心ちして」が重なるのも長所に思える。
 時かわって、浮気して左大臣の恩に背くのはどうか、と説教する帝に「かしこまりたるさまにて御いらへも聞こえたまは」ない源氏。僕なら「何とか言ったらどうやねん!」と怒鳴りたくなるところだが(場所は京都ですから関西弁訳は妥当)、帝は「(葵上のことが)心ゆかぬなめり、といとおしく(気ノ毒ニ)おぼしめす」。甘いなあ。甘すぎる。
 源典侍というヒトが出て来る。頭中将を巻き込みつつ醜態をさらすのだったと思う。「年いたう老たる」とあるが、幾つなのか。注釈で六十とか見てびっくりした記憶があるが。安土桃山時代に人生五十年なのに。
 考えてみれば源氏が現時点で幾つなのかも知れない。岩波文庫には帖の始め毎に書いてあるのだが、新大系だとそれが無いんで不便だ。岩波文庫の年齢推定の根拠とか妥当性も、全然知らないのだが。


10月1日
 21から帖末まで(上の御梳櫛に〜)。
 なんかグロテスクな感じ。女が五十七八、源氏や頭中将が二十歳ごろということが判った。六十前の女が恋をしちゃいかんということでは勿論ないのだが、それが肉の方に向かっているのが悲しい。あと男二人の方もどう見ても怖いもの見たさの感覚だし。
 それから、源氏と頭中将が服を脱がせあうシーン。なんなのだこれ。遊んでいるさまではあるが、あからさまに男色である。文学の分野で論は出ているのだろうか。
 「(源典侍が)わりなしと思へりしも、さすがにて」手紙に返事を出す。優しいね。これはちょっと好感度が上がる。
 源氏と若宮について、最後に「月日の光の空に通ひたるやう」と表現。これは千年前は恥かしくなかったのであろうか。