こんなんだったっけ日記

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桐壷(二)

 新大系の区切りで10(「月は入り方の〜」)から帖末まで。
 「命婦は、(帝が)まだ大殿籠もらせたまはざりけると、あはれに見たてまつる」というのは桐壷さんの里から帰ってきた靫負さんの心内であるが、とても千年前とは思えない描写で、2010年でも何の問題もなく通用する。「(桐壷を)御覧じ初めし年月のことさへかき集め、よろづに思し続けられて、「時の間もおぼつかなかりしを、かくても月日は経にけり」と、あさましう思し召さる」とかいうのも、おそらく類似の経験を持つ人にはかなり共感されそうなところで、こういった細やかな描写に普遍的な魅力があるのだろうと思う。

 桐壷にそっくりな女性ということで白羽の矢が立ったのが藤壷であるが、彼女の母は当然、娘が桐壷の二の舞になることを恐れる。
 「母后、「あな恐ろしや。春宮の女御のいとさがなくて、桐壺の更衣の、あらはにはかなくもてなされにし例もゆゆしう」と、思しつつみて、すがすがしうも思し立たざりけるほどに、后も亡せたまひぬ。」
 凄いですねここ。登場したと思ったら死んじゃうんで、かなりダイナミックな御都合主義である。笑っちゃいけないのだが可笑しい。
 葵君も早速出て来る。私はどうもこのヒト(の物語上の役割?)がよく判らないのだが、今回の源氏読みで判るかしらん。若紫が成長するまでの「繋ぎ」なんじゃないか、というと酷か。

 さて次からは男の「ろくでもなさ」がばんばん披瀝される箒木帖である。